死にがいを求めているあなたへ
死にがいを求めて生きているの
「お前は価値のある人間なの?」
人は誰かから必要とされないと生きていると実感するのは難しい。
平成という時代に生きる私たちは、競争が奪われていった時代だ。
相対評価から絶対評価に。競争することを奪われ、ナンバーワンではなくオンリーワンの美学を強いられてきた。
「誰とも比べなくていい。そう囁かれたはずの時代はこんなにも苦しい」
私たちは、何も持たされず自分だけの価値観のものさしで生きれるほど強くない。
認められるために、評価されるために、生きがいを求めて何者かを目指す。
本著は、植物状態の大学生<南水智也>と献身的に見守る<堀北雄介>。
この2人を中心に隠されていた”平成”という時代の闇に触れていく。
絶対。絶対。絶対。
看護師の白井は、淡々と生きる毎日に疲弊していた。社会人一年目の白井は、心臓の真ん中が真っ赤に焼けて肋骨が焦げ付くような思いで、患者に対して接していた。
絶対に、絶対に、絶対に助ける。
そんな思いもだんだん薄れていき、いつの間にか死にも何も感じなくなってしまった。
そんな時に、白井は毎日看病に来ている雄介に出会う。なぜ彼は、友達が起きるかわからない同じ毎日過ごせるのだろうか、なにを生きがいにしているのだろうか。
あるとき、白井は雄介に聞いてしまう。
「いやになったりしないの?毎日の同じことの繰り返しだなって。
自分も世界も何も変わらないって。」
白井は仕事の中で、毎日誰かが死んで、絶対に大丈夫と言い張った患者のことさえも忘れて。あらゆることが毎日繰り返されていく中で、何が生きがいになりうるのか。
雄介は答える。
「今日が、こいつが目を覚ます日の前日なのかもしれないって思ってるから。明日は絶対に合えるって一日ずつ、クッキーの生地みたいに命を引き延ばしていくんだよ。そしたらきっとその毎日がすっごく辛かったとしてもただの繰り返しだとは思わない。この瞬間のためだったんだなって笑う日のための積み重ねだって思える。」
絶対。絶対。絶対。絶対こうなると、未来に起こるはずの変化を強く唱えられるような、そんな変化を引き寄せられる自分の力を信じているような。祈りが実って我を忘れて喜べるような、そんな感覚をもう一度欲しかった。心の中心点から絶対値が欲しかった。
グラデーションを知る
大学生になった智也は学生運動に精を出す与志樹からある質問をされる。
「社会問題について何か考えたことはないの?」
これは学生団体で社会問題を取り上げ注目を浴びることを生きがいを感じていた与志樹には何事にも影響を受けない智也が不思議でしょうがなかった。
智也にはある考えを持っていた。
「善悪の境界線があったとして、それから1キロ右側に離れている人もいれば、1ミリだけ右側にズレている人もいる。それは、左側も同じ。だけど、右と左に分けようってことになれば、1ミリずつ左右にズレている人たちだって1キロ離れている人たちのところまで、分けられる。そうゆう集団の中にあるグラデーションを見逃さないようにしたい。」
集団の中にあるグラデーション知る。同じコミュニティーの中でも、考え方は違う。
ひとくくりに定義するのではなく、個人の濃度の見極めが重要になる。
生きがいを求めているあなたへ
平成に生きた私たちは、周りと比べることは許されずに生きてきた。
あなたのやりたいことをすればいい。と何者かになることを強制されてきた。
きっと悩んでいる人も多いのではないでしょうか。
人生の生きる理由が生きがいだとしたら、
私たちは、死ぬための理由として死にがいを求めているのかもしれない。
そんなあなたに朝井さんの言葉を送ります。
〈摩擦〉がないと体温が感じられないのは雄介に限らないし、目的なく生きたり、自分が幸せになることへの罪悪感や圧が、今は凄く強まってる気がします。〈もっと人を救わないと〉と言いながら自分は疲弊していく人物が出てきますが、社会的価値が足りないと感じる自分を滅しようとする感覚を、他者や社会への恨みに転じさせないためにはどんな言葉が有効なのか。未だに答えを探し続けている感覚がありますが、平成を舞台に書いた小説がこの温度に落ち着いたことには、不思議と納得感があります」
人生は降りれないから、ただ生きる。理由はそれで充分だと朝井さんはいう。
あなたの生きる理由は何ですか?