関の備忘録

私立文系大学生。日々の備忘録。

自己分析④

・これまでに最も悔しかったことは何です?またどのように活かしましたか

大学受験の失敗、高校のテニス、大会の運営

 私は、高校の頃に所属していた硬式テニスで「私が試合に出たことで創部初の大会記録を止めてしまった経験です。」私の高校では、指導する監督さんがおらず試合のオーダーも部内戦という内部の戦いの勝利順で決めていました。私たちは、神奈川県大会200校程度いるなかで、創部初めてベスト32まで食い込むことが出来ました。しかし、次の試合は、かなりの強豪校でした。私はその時にダブルスを担当しておりました。周りからは、次の試合は海藤よりも違うやつの方がいいんじゃないかと声も上がっていました。おそらく監督がいれば、私は外されていたかもしれません。しかし、私は部内で必死に勝利を勝ち取った、だから、私が出る!!と言い張ってしまいました。結果、その試合では、私が原因で負けてしまいました。私の実力不足も実感していたので、この経験はかなり悔しかったです。

⇒私はこの経験を通じて、「引くときの重要性を感じました。」今までの私は、前に前に、と主張することが多かったです。周りとの話し合いの時にも、引くことが正解であれば、無理に主張せずに引くという選択を持つことができました。この選択肢を持てたことは大きいです。

 

・これまでに最も辛かったことはなんですか?またどのようにいかしましたか

不登校、大学受験、高校のテニス、大会運営

  最も辛かったことは、小学校の頃に登校拒否になってしまったことです。きっかけはおじいさんの病気でした。私は毎日病院に通っていました。町からバスで1時間ほどの大学病院でしたので、友達との時間も無くなっていき距離が遠くなっていきました。その後、半年後におじいさんの死のショックで学校に行かずになりました。この半年間は日中は外に出ることはできずいました。人の話し声や物音すらも怖くなってしまいました。この時期が一番人生で楽しくない時期です。両親からの応援もあり、中学校入学を機に復帰することが出来ました。

⇒私はこの経験を通じて、日常のありがたみを知ることが出来ました。 何気ない日常からも幸せを感じるようになりました。

 

・これまでに最も許せないことは何ですか

 高校の停学事件、バック事件、

 私がもっとも許せなかった出来事は、高校二年生の頃に文化祭であった出来事です。私の高校では、毎年1万人ほどが来る県内でも有名な文化祭でした。教室で作ったアミューズメントのほとんど2~3時間待ちで、私たちが運営していたお化け屋敷は大変人気で、3時間待ちは当たり前のような状態でした。しかし、文化祭の終了時間は決まっております。3時間待ってもらっていた方々に真摯に謝罪し帰ってもらいました。正直この時の私は、学生の身分でしたので恥ずかしくしっかりと謝ることはできませんでした。しかし、一緒に謝っていた彼女は、深々と頭を下げて精一杯の謝罪をしていました。この後に、片付けの時間を過ぎてもふざけて遊んでいる人たちがいました。あの姿を見ていた私は、ルールを守らずに遊んでいる姿を見て、彼女の謝罪を踏みにじられたような気がして許すことはできずに口論となってしまいました。